外部良心

すでに過去形で語るべき話になってしまったので「昔語り」。
おいらの行動基準は、ここ数年でそれ以前とはがらっと変わっています。特に対人関係がすごくオープンになって、以前なら会話もしなかったような人たちとも仲良くなるようになったし、明らかに内向的→社交的に変化しました。周囲と対立したり馬鹿にされたりなんてことはもうここ何年もないし(小学生の頃はいじめられっ子だったくらいさ)。
ここで大きく働いていたのが「外部良心」とでも言うべきもの。良心といえば自分の中にある判断基準だけど、それに加えて「あの人に見られても恥ずかしくない行動か」という基準を持ったと言うことです。好きな人がいると生活に張りがでるというのはこういうことか。
常に自分の行動を客観化したうえで評価するようになるから外部良心の効力は絶大です。それに加えて「あの人ならこういうときどうするか」も意識していたからずいぶん変わりました。その人は特にすごく優秀とかそういうわけではないけれど、だれからも愛される素直さや人なつっこさを持っていて、それが自分に欠けているのがわかっていたからそれを取り込むことにも注力していたわけです。
つまり、見えない監視者として、そして性格の一部としてある人を取り込んでいるのが今のおいらの姿。さてその外部良心がなくなった今、おいらは何者になっていくのか。それとも大して変わらないか。そして新たな外部良心は生まれるのか。詰むや、詰まざるや?