「俺、浮気しないよ」

浮気はしないよ、と約束するとき、その「浮気」には二通りの意味があると思っています。ひとつは文字通りの浮気、他の人を好きになってしまうこと。もうひとつは、実際の浮気行為、というか好きになったのを好きでとどめておかないことですね。
浮気はしないと約束するなら、それはどっちの意味なのか考えておかないといけません。他の人は好きにさえならないのか、なるかもしれないけど我慢するのか。
ここで思うのが、好きにさえならない、と約束するのは、それは無責任じゃないかということ。感情は勝手に湧いて来るもので、自分で決められるものじゃないからね、自分のコントロール下にないものを約束しようなんて無責任なんじゃないかと。
でもその先、我慢するかどうかは自分で決められること。だから心はぐらつくことがあるかもしれないけど、そこらへんは自制心できっちりやります、ってのは正しい態度だと思うわけ。
ただその約束通りに行かなかったという不幸な事態はそこら中であるわけで、そうなったときどうするかも大事な問題。この前、「愛は感情ではなく行動だ」と歌った歌のことを紹介したけど、まさにそういうトラブルにも対処して関係を維持していく努力も愛のうちでしょう。
証拠をつかんで相手に叩きつけるなんてのは、そういう意味では全然だめ。相手をわざわざ追い込んで、どうやって関係を維持するんだと。美しいのは、やはり互いの連携あってこそです。
浮気の兆候をつかんでしまったら、気付いたことを匂わせる。気付いたそぶりを匂わされた方は、すぐに清算して「なかったこと」にする。相手が本当に浮気していたかはわからない。相手が本当に気付いていたかはわからない。軽く緊張感と謎をはらみながらの平和維持活動。美しい連携じゃないですか。