カメラ、おみやげ、参上!

講義中ノートを取っていて、不毛に感じる瞬間があります。そりゃ書き写すという行為にも意味はあるんだけど、もともと先生の用意していたテキストであり、わざわざそれをまず黒板に書き写し、それをさらにノートに書き写すという作業はやはり冗長性が高い。限られた講義時間、無駄にせずに濃ゆく話を聞きたいもんでしょう。
そこで、板書する代わりにOHP。しかもOHPのハードコピーが配られるかWebで配布されるかする。そういう授業も結構あるし、板書しないから頭に入らないなんてこともありません。ただそれでペンがいらないかというと、OHPのコピーにどんどん説明を書き込んでいくのでペンは必要なわけです。
そこで思考実験。じゃあ、十分な注釈が最初から配布OHPに書き込まれてしまっていたならどうなるか。理論上ペンはいらなくなります。先生に質問したりする以外は、プリントを見て話を聞いてだけいればいいことになる。それって、頭に入る入らない以前に、講義を受けている実感というものがないなあきっと。結局、ペンを出してアンダーラインとか引いてることでしょう。
そこでふと、旅行者がなんで風景の写真を撮るのかと似た話なのかな、と思いました。見ただけ、みたいな受動だけではきっと人間何かをした実感がないのです。だからここまで来た、という証に写真を撮る。おみやげを買うのも証。「○○参上!」とかマーキングしていくのも証。
アンダーラインはカメラでおみやげで参上なのです。