慣用句の解釈2題:「風上にも置けない」「気の置けない」

このネタすでに書いてるだろうか。でもチェックするのも面倒なのでこのまま書いてしまう。

置けないつながりってわけじゃないんですが、この2つの慣用句、表現に納得がいかない2巨頭なんですね、僕の中で。

「気の置けない」

まず「気の置けない」。若者が誤用しているけしからん的な例に挙げられるトップ3に入る言葉だと思うんですけど、実際仕方ないと思いますよね。だって「置けない」という不可能表現である以上悪い意味としか考えられず、そうすると語感から「気を許せない」ぐらいの意味ではないかと類推するのはわりと自然な思路。

この表現、「可能動詞はれる・られるの複数の意味のうち可能の意味だけに限定したもの」という原則の数少ない例外なんですよね。可能動詞のくせに自発の意味、「気を置こうという気が起きない」なんだ。だから「遠慮のいらない」という意味になる。

でもやっぱり可能動詞は可能の意味だけで使いたい。だってそのせいで、ら抜き言葉が便利に使えるわけでしょ? 気持ち悪いので個人的には「気の置けない」は避けてますよ。

「風上にも置けない」

タイトルの順と本文の順が逆になった。まあいいか。

「風下にも置けない」が正しいんではないか? とずっと思ってました(ちなみにこう入力するとATOKには怒られる)。
「も」を使う以上は、許せない第一段階、第二段階があるってことじゃない。「風上には当然置きたくない。いや風下にだって置きたくない」となれば「風下にも置けない」です(また怒られた)。

まあ、これはあまり感覚レベルで受け入れられないんだけどこう考えるしかないのよね。



「風上に置けもしない」が「も」の移動で「風上にも置けない」に変化した姿であろうと。

空も飛べるはず」は自然に受け入れられるんだけどこちらの違和感は、うーん、なんなんだろうね。