服装の乱れは心の乱れ

「服装の乱れは心の乱れ」と言えば、あの映画の名ゼリフ。宮沢りえがデビューした『ぼくらの七日間戦争』でスパルタ教師(佐野史郎)がこう言いながら異常に厳しい服装チェックをしてました。そういえばTM Networkの主題歌ヘンだったな。「seven days war 戦うよ」ってサビだったけど、「七日間戦争」は英語では複数形にしなくていいので"seven-day war"じゃないと。まあ、小室哲哉のトンデモ英語は今に始まったことじゃないが・・・
それは置いておいて。
当時思ったのが、服装の乱れは結果なんだから、心の方をなんとかせずに服装だけ直そうとしたって意味ないんじゃないの? と言う疑問。ま、当然っちゃ当然。
でもその後、思い直したわけです。
服装自体も、心理状態に結構影響を及ぼしてるなと。きちっとした服装をしたときには、それなりの気持ちになるもんです。スーツを着た男性が好きっていう女性がいるけど、あれはスーツそのものではなくて、それを着ることで改まった男性がいいんでしょうきっと。
服装の乱れは、心の乱れの結果であると同時に原因にもなっているわけ。心は直接いじれないんだから、間接的に服装を正すことで心理状態も改善しようってアプローチはあながち間違いじゃないってことになります。画一的(かつ、ださい)スタイルを一律で強制することの是非は置いておいて。
落ち込んでいる人に「さあ、背筋を伸ばして」とアドバイスするのに似ているかも。縮こまった姿勢もやっぱり、落ち込んだ気持ちの結果であると同時に原因。正してあげれば悪循環が断てるのです。
結果であると同時に原因、これはものを見るのに大事な視点ではないかと思っています。因果律ってのがあるけど、これが成り立つのは、ことがら同士に時間的前後関係があるときのみ(犯人が突き落とした→被害者が死んだ)。
恒常的に関わり合っていることがら同士の場合、どちらかが原因でどちらかが結果であると考えると真理が見えなくなるおそれがあります。単なる因果律ではなく、すべては相互作用。そう考えるようにしています。
たとえば集団になじめない人がいるなんていうとき、集団が不寛容なのか、なじめない人に性格的問題があるのか、という視点で見るのではなく、どういう相互作用の結果だったんだろう、と見ると問題点がはっきりしてきます。そんな感じ。
ああ、今回は結構、マイ哲学の根幹部分をしゃべってしまった。