自らを否定する宗教

最近放映が始まったCMをご存じだろうか。一部のテレビ局しか扱っていないので見たことがない人も多いかもしれない。
POWER FOR LIVINGという本の宣伝だ。m-floのラッパーVERBALが出てきて、荒んでいた昔の自分と、その本と出会って人生が変わったことを語る。そしてその本は無料でお送りいたします、と。(他にも久保田早紀のバージョンもあるようだ)

まともな視聴者はこのCMを見て、直感的にいかがわしいと感じたはずだ。何の本なのか、自分たちは何者なのか、なぜ無料なのか、なにも説明されていないのだから当然だ。「宗教ではないか?」とすぐわかった人も多いだろう。

答えから先に言えば、宗教で正解。米国を拠点とするプロテスタント系の宗教団体で、アーサーS.デモス財団という団体だ。創立から20年強の新しい団体だが、特にカルト教団などといった評価は受けていない。

大部分の人(日本人)が宗教に対して持つ思いは、「信じたい人が信じていればいい」というところだろう。僕が宗教に帰依することはまずないだろうということを書いたことがあるが、それでも他人が信仰を持つことまで否定する気はない。多くの人と同じようにだ。

ここでこのPOWER FOR LIVINGの宣伝にとても面白い点を感じる。多くの人は否定しようとしていないにもかかわらず、宗教であることを表に出そうとしていないのだ。宗教であることを隠そうとしている、隠すべきであることだと考えているのが宗教団体自身だということだ。

このCMに限らず、宗教の勧誘はまず宗教であることを伏せてアプローチすることが多い。確信的な後ろめたさがあるのだろうと思える。