語っちゃうぞ、靖国。

さあこれまで避けてきた靖国参拝問題のお話だ。
触れてみようと思ったのは、この前の橋本さんの発言がとても興味深かったからです。「小泉首相は靖国の政治化を避けるべきだ」というあれ。以前から考えていたことと通じるところがあったので。
おいらの考えですが、そもそも小泉首相だけでなく、歴代首相は靖国参拝を精神的な意味ではなく、純粋に政治の道具としてだけ、それも外交の道具として行っていると思われます。
そもそも不自然。戦死者を悼むのも、平和を誓うのも、別にときどき靖国に参拝するまでもなく、どこででも、それも毎日できること。「英霊を(以下略)」といった理由は後付けと考えるべきです。
では、道具としてならその使い道は?
それは中韓への非公式な不快感表明、と見るのが妥当でしょう。1985年に初めて首相の公式参拝があったときに、抗議をしてきたのが中韓だった。だからそれ以来、中韓に対してだけ意味を持つ行為になったのです。やらないでと言われたことをもう一度やることで、確実にメンツをつぶすことができるからね(最初の参拝は、中曽根さんが軍人会にアピールするのが目的だったかも)。
こじつけになってしまうかもしれないけど1996年の2回目の参拝は、ちょうど韓国とはアジア女性基金でもめていたとき、中国では保釣運動が盛り上がってきたとき。
3回目の2001年は「つくる会」教科書が検定を通って内政干渉といえる抗議を受けていたとき。
「勝手を言うならそっちのメンツも無視するぞ」という意思表示をする目的だったと考えられるのです。
さて、そういう目的であるとすると、「無宗教の慰霊施設」などという代案はまったく無意味であるとわかります。非公式な意思表明に利用もできない施設なんか政治的な利用価値はまったくないわけで、たぶん首相がそこに公式参拝することはないでしょう。
さて、今後靖国参拝はどうするか。
やめた方がいいと思います。道具としての使い勝手がやや悪い。
政教分離が絡むからとかもあるけど、それ以上に中韓を両方とも刺激してしまうからです。
いまの日本外交がいいポジション築くには、中韓をもうちょっと引き離した方がいいのです。それには、「片方に優しく、もう片方につらく当たる」のがおいしい(集団訴訟を起こされた企業が、原告団を分断するために一部にだけ補償するなんて手がありますよね)。両方を刺激する靖国はその道具には使いにくいんです。
どっちにつらく、どっちに優しく当たるかは、そりゃ難しいところです。合従策でいくなら中国に優しく、連衡策でいくなら韓国に優しくでしょう。ただ、現実的に無法な要求の多い中国に優しくは当たりにくい。
中国だけ刺激したければ、政治化が非公式発言の中で台湾を国扱いするなどが有効ですね。ああ、すでに実際それやってるか。