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必要とされてるんです、きっと

どうして自分はあの人みたいになれないんだろう、と自分を呪ってしまうような場面、ありませんか? ほんとに人間的に素晴らしい人たちがいて、それは勇気があったり、誠実だったり、果断だったり、すごく慈悲深かかったり、などなどいろいろあるんだけど、そういう人に触れると自分なんか全然低劣だなあと思い知らされたりするのです。
でもちょっと待て。そういう、いいところで劣ってる自分の性格って悪い性格なのか。果断でないかもしれない。誠実でないかもしれない。意地悪かもしれない。それは直すべき悪い部分なのか。
こう思うのです。
人間に限らず、生物の振る舞いは進化の歴史の中で最適化されてきました。例えばもし果断なのが、誠実なのがいいことなのなら、人間はとっくの昔から、果断に、誠実にしか振る舞わないようになっていたはず。それが、実際には振る舞いのクセには個人差が、つまり多様な性格があるのです。
そこから逆に考えると、こういう推測が成り立ちます。性格に幅を持たせてある方が、人類という種族の繁栄上、より都合がよいのだと。みんながみんな「いい性格」であるよりも、それ以外の性格が混じっていた方が進化上人類にとって有利であったと。
そこから、自分の性格に気に入らないところがあっても、自己嫌悪するには当たらないんじゃないかと思うのです。生命の歴史38億年が必要と認めてくれた性格なんだから。
自分だけじゃない。どうしても気に入らないあいつのあの性格、それだって必要だから存在する性格と考えられるんです。そう考えると少し人間やってるのが楽になりませんか?