ヒスイは記憶の鍵です
『カウボーイ・ポップ』の終曲「ヒスイ Jade」は珠玉の一品です。詩が美しい。そして北風のように吹きすさぶ(まさにそんな感じなのです)メロディーの嵐がもうすばらしくて。
その、寺山修司のあまりにも美しい詩がこれ。
なみだを遠い草原に ヒスイを君のてのひらに 過ぎ去った夏に そう歌った石よ それはまばゆいばかりの緑 小さな大自然 なみだを遠い草原に ヒスイを君のてのひらに だがヒスイは買うにはあまりにも 高価すぎて ぼくはあまりにも 貧しかった だからこそ僕は歌ったのだ せめて言葉の宝石で 二人の一日を かざるために なみだを遠い草原に ヒスイをきみのてのひらに
これを、あえて野暮ったくも意味解釈していきましょう。キーポイントは
- 4・5連が過去形で書いてあるのはなぜか
- 「そう歌った石」とは? 石が歌うとはどういうこと?
- 高くて手が出ないはずのヒスイだけど、それに呼びかけているということはヒスイは手元にある?
- 数ある宝石の中で、なぜヒスイ?
というあたりです。
過去形の文が混じっていることからわかるように、一部は回想シーンですね。それが4・5連。貧しかったけれど、確かに輝いていた若き日です。
その過去の日々に通じる言葉が1連の「なみだを遠い草原に」と2連の「過ぎ去った夏」ですね。なるほど、緑の草原にまつわる過去の記憶を呼び起こしてくれたきっかけが緑のヒスイだったわけだ。
宝石なんか買えるほどお金のなかったのは昔の話。今、話者はすでに成功して宝石を容易に所有できるほどになっています。その話者がヒスイを手に取ったときに、緑に輝くヒスイが遠い思い出に呼びかけてきたのです。「あの緑の草原で、かつての恋人に渡せたらね」と。今となっては悲しい思い出。「遠い」というのは手に届かない遠さのことでしょう。死別したのかもしれない。
でも、あのとき自分は輝いていたと確信させてくれるんですね。「夏」は思い出の中の季節と取ってもいいけど、その輝いていた日々の暗喩と取るのもありでしょう(その両方と取るのもあり)。もしかしたら今は輝いていないのかもしれない。寂しい老境かもしれません。
ああ美しきかな青春。