にぎやかか

『一人は賑やか』(茨木のり子三善晃)は、あした歌う曲だというのにこれだけはどう歌っていいのかわからずにいます。難しい判断を迫られるんです。それが3番。

一人でいるのは 賑やかだ
誓って負けおしみなんかじゃない

一人でいるとき淋しいやつが
二人寄ったら なお淋しい
おおぜい寄ったなら
だ だ だ だ だっと 堕落だな


さて問題。これは、負け惜しみか否か。もちろん、字義通りに行くなら、本心で一人はさびしくも何ともないと思っていることになるでしょう。
でもどうか。孤独でないなら、そもそもこんな歌を作る意味があるか。歌の存在意義を考えると、やっぱりベースには孤独があって、そんな自分に言い聞かせるためのもののはず。そうすると本心は・・・?
あしたこれをどう歌うかは、まだ決めてません。「どっちも本音」という玉虫色の解釈もありかも。ただ、人一倍寂しがり屋のおいら、高い確率で「ほんとはさびしいよ」で歌うかもってところ。