後悔しない一手

偶然の絡まないゲームには、必ず最善手というのがあります。麻雀みたいに偶然の要素があると確率でしかものが言えないけど、将棋なんかだと勝てる局面であれば「こう打てば必ず勝てる」という手が存在するのです。
でも実際にはどれが最善手か決めるにはすべての場合分けを読まないといけないので、どれが最善手だか分かるのは本当に終盤くらい。(最善手を決めろという問題がつまり詰め将棋)
最善手は存在するけどどれがそうなのか分からないからこそゲームになるわけだけど、じゃあどうすればいい手が打てるのか。
一手一手に意味を持たすことが大事なんじゃないかなと最近思っています。おいらは将棋は全然打てなくてオセロ専門なんだけど、「相手のこの狙いを封じられる」「ここへ打ち込むための種になる」なんていう意味がある手を打っていくとやっぱりいいゲームができます。
言いたいのはゲームの話じゃなくて、日常生活について。生活の中で判断に困ることはよくあるし、実際どの選択肢が最良かなんて決められるわけないんだけど、それでも何かしら決断はしないといけない。
どうすれば後悔せずに、または非難を受けずにすむか? それがやっぱり、意味を持った選択をすることかな、と思うわけです。
実際の判断の場面では不完全な情報しか手に入らないことばっかりだし、何をやっても結局うまくいかないということも多いわけです。だけど、「今の時点ではこれの可能性があるし、それに対してこうする」「こうしておけばこういう結果が狙える」という意味づけをしておけば、失敗したとしても「あの時点では妥当な判断だった」「最悪の事態を避ける意義はあった」と自信を持って言えるわけです。
さて、偉そうなことを言ったけど、おいらはオセロでさえいつも意味のある一手を打てているわけじゃないんです。手の意味を全部考えていれば、あとからゲームを再現して最初から並べられるはずだけど、できないもんね。まだ意味分からずにランダムで打ってる部分があるってことだ。