『ブラザーフッド』(カン・ジェギュ)

昨日仲間と話していて、「ケモノ」と言われるのと「ケダモノ」と言われるのとどちらが惨めかなどという駄トークをしていました。どっちかというと、ケモノというと単なる陸上動物的な響きがあって、人格低劣っぽくても少なくとも人間扱いされていそうなケダモノの方がまだましなのではないかとコメントしたわけですが。
でも、その人間でいることが恥ずかしくなるときがあるわけです。戦争ですね。
おいらは「戦争を知らない子供達」のさらに子供の世代になるわけで、戦争を知る機会と言ったら国際ニュースかこういう戦争映画を通じてと言うことになります。
この映画の主人公は固い絆で結ばれた兄弟。互いを深く思いやりながらも、出征した戦争の中で徐々にすれ違い始めます。そして、国を守っていたはずなのに兄の婚約者は国の手で共産主義者として殺され、悲劇が幕を開けていく・・・
悲劇的結末を予期させながらも、二人とも生還できるんじゃないかという希望を最後の最後まで観客に与え続ける演出がまた憎い。そのうまい演出がさらに悲劇性を際だたせています。
戦争なんて破壊と悲劇しか残さないともう十分わかり切ってるはずのに、人類はいまだにどこかしらでやっています。どんな重大な災害よりも格段にひどい惨劇をわざわざ人の手で作ってるんだから。こんなことする動物はほかにいない。「ケモノ」でいた方がまだましなのかな、と思う瞬間です。
世界の恒久平和無理なのではないかという予測についてこの前書いたけれど、世界がひとつの平和な地域になると言う希望まではおいらは捨ててません。だって日本もいまでこそ統一された平和な地域だけど、ほんの400年前までは群雄割拠の政情不安定地域だったんだから。