"like" と "好き" と

谷川俊太郎詞、松下耕曲「あい」。

あい 口で言うのはかんたんだ
愛 文字で書くのもむずかしくない
あい 気持ちはだれでも知っている
愛 悲しいくらい好きになること
あい いつでもそばにいたいこと
愛 いつまでも生きていてほしいと願うこと
あい それは愛ということばじゃない
愛 それは気持ちだけでもない
あい はるかな過去をわすれないこと
愛 見えない未来を信じること
あい くりかえしくりかえし考えること
愛 いのちをかけて生きること

これが難曲で去年はずいぶん泣かされた、というかいまだに苦手意識が消えてません。たぶん今後もこれを自信持って歌えることはないんだろうな・・・。
で、この歌詞。さすが谷川俊太郎というところで、当たり前のような書き出しと見せかけながら途中でいきなり強烈な「転」が入って、鮮やかに起承転結をつくっています。その転が8行目「それは気持ちだけでもない」。
この詩を見るたび、英語と日本語の表現に違いを連想していました。英語の"love"と"like"、これは日本語の「愛する」「好き」に一対一で対応しているわけではないけど、似たようなクラス分けではあります。
ここで、英語だと両方とも動詞なのに、日本語では「好き」だけ形容動詞になっているのです。ここに注目。動作よりは状態という印象で、能動的な感じが薄れています。
作詞者は、このことも頭の片隅にあったんじゃないかなと思っています。愛というのは単なる感情ではない、行動なんだと。それが「好き」との違いなんだと。それを強く押し出すのがその8行目なんです。
ところが曲では、このフレーズに特に重きは置かれていません。ほかの行と交錯して掛け合いに使われているだけ。ここはやや納得がいかない。詩人の思いを伝え切れていないようで残念。