正しいHTML

規格外の正しくないHTMLが出回ってしまうという問題は、昔からいわれている日本語の乱れと似たように考えることができるんじゃないかなと思っています。相違点も共通点もともにあれど。
コミュニケーションを目的とした規格があって、それに沿った情報交換が行われているはずなんだけど、便宜上から受け手が解釈に幅を持たせて規格外の情報もそれなりに受け取れるようにしている。結果として規格外のままの情報が修正されずに流されるようになる。
その状況に、正しい日本語を使え、正しいHTMLを書け、というのは簡単なんだけど、そこはもっと自己組織化的な視点から眺めるとまた違ってくるんじゃないのかと思うのです。要は、平衡なのですよ。
全員が規格通りにやろうとすると、情報を表現するときに留意する点が増えすぎて情報発信コストを引き上げてしまう。かといって、全員が規格を無視していると発信された情報を受信できないことが増えて情報発信効率が下がってしまう。
全員が厳格でも全員がいい加減でも効率が悪くなる以上、その中間のほどよいところの比率に厳格な発信者といい加減な発信者が混在して平衡となっているのが、たぶん最も効率の良い状態となるでしょう。
日本語の乱れを気にする人は、あまり悲観的にならなくてもいい。現状以上に文法が揺らげば意味が通じなくなることでブレーキがかかる、という風に自律が期待できるからです。