新年の計は年末にあり

この年にもなると子供の頃に比べて、お正月の来た嬉しさというか新鮮さというか感慨というか、そういう特別な気持ちが薄れてきて寂しいことこの上ないです。考えてみればそれは当たり前のことで、新たな年と言っても1月1日午前0時は人間が勝手に決めた境目。時間は淡々と連続的に流れているんだから、そもそも特別な時間なんてものはないわけで。(モモによれば特別な星の時間がときどきあるらしいけど)。生活は昔の農村みたいに一年区切りのサイクルに依存してもいなくなったしね。
それがわかってくれば、新年に特別な感慨がもてなくなってくるのもまあ当然の成り行きと言うことになります。ただそれでは困るのです。やっぱり特別な時間は演出して生活を楽しみたい。そうすると見えてくるのが年末の儀式の効用です。大掃除したり、お供えしたり、そば食べたり、おせち作ったり。紅白見るのも年賀状書くのも。そういうのは、設定した新年という瞬間に向けて自分を無理矢理ヒートアップして、なんとか特別な時間に突入しようという試みなんじゃなかろうか。これを月並みな言葉で言い換えると「新しい気持ちで新年を迎えるため」と言うんでしょう。