『種子』(『思い出すために』)

きみは
荒れはてた土地にでも
種子をまくことができるか?

きみは
花の咲かない故郷の渚にでも
種子をまくことができるか?

きみは
流れる水のなかにでも
種子をまくことができるか?

たとえ
世界の終りが明日だとしても
種子をまくことができるか?

恋人よ
種子はわが愛

これをみて、これは無償の愛なのかと、そもそも「無償の」行為というのはどういうものかと考えてしまった。本当に掛け値なしに無償な行為ってのはあるんだろうか。例えばマザーテレサは何の見返りも受けずに福祉活動に人生を捧げたわけだけど、何も得たものはないかと。その仕事には充足感とか達成感が伴ったはずで、こういうのは立派な報いだと思うのですよ。「情けは人のためならず」という諺はまさにそういうことじゃないかな。「人のためにしてあげたんじゃない、自分がしたいからしたんだ」という意味。
そういう視点で「無償の愛」ってなんだと考えてみる。人を愛することだって大きな精神的満足が得られるもの。それも得られないような愛ってなんだ? ふと思い当たったのは死別した人への愛。これならあり得るな。どうだろう。